敷地の片隅に二宮金次郎の銅像がある小学校は今でも多いのでしょうか。僕の通っていた学校にもありました。ところであの金次郎が読んでいる本は何の本なのかと調べてみたら「大学」という本で儒教の経典なんだそうです。あの人は一所懸命に経典を読んでいたんですね。
ところで最近は”本を読みながら歩くのは危ない!”という理由で撤去する学校があるそうです。
なんかそれは意味が違う気がするのですが。薪を運ぶちょっとした時間いわゆるスキマ時間を利用して勉強する大切さを教えてるのに。
てゆうか歩きスマホしてる大人があれだけ町にあふれてるのに銅像のせいにしたらあきませんね。
とはいえ銅像を見て「ああ僕もこの人のように寸暇を惜しんで勉強しよう!」と考える子供もほとんどいないでしょうからあってもなくてもいいのかもしれません。でも時にはその銅像を見つけて興味を持つ子もいるかもしれません。そして理由を聞いて感銘を受けるかもしれません。
結局良い影響か悪い影響かは発信側ではなく受け取る側次第ということですね。二宮金次郎がなくなったから歩きながら本読む子がいなくなるわけでもないし、あるからといって勉強ヤル気になる子が増えるわけでもない。銅像を置くことも撤去することも実のところ大人の自己満足なんでしょうね。
金次郎がいてもいなくても今年も自分にできることを頑張りましょう。
今日もここまで読んでいただきありがとうございます。
とはいえ今年は金次郎のようにスキマ時間をもっと有効に使っていこうと思います。
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