歴史にはいろいろな見方があり様々な説があります。そしてそのどれもが「確実な真実」と言えるものはありません。見た訳ではないからです。教科書に載るほどの確度の高い情報だって真実かどうかと言われれば疑問符は付きます。
タイムマシンが発明されるまではそれらいろいろな説をあーだこーだ言い続けるしかないのです。でもそれが歴史のおもしろさの一つでもありますね。
さて今回の一説は徳川家康は武田信玄の隠し子だったんじゃないかという説です。現在の「常識」から考えれば、んなわけねーだろと言われそうな説ですが、んなわけねー事が起きるのが歴史であり人間社会です。
この説の由来はいくつかあります。
当時力をつけ始めていた家康に信玄は三方ヶ原で大勝します。将来の大敵になりうる家康をこの時滅ぼしておくことは容易かったにもかかわらず信玄は家康をなぜ見逃したのでしょうか。あの用心深くて抜目の無い信玄がです。信玄自身、死期が近づいていることがわかっていたなら今後の武田家のためには尚更です。
武田家は結局織田家によって滅亡することになるのですがその後武田家の家臣たちのほとんどは家康に召し抱えられます。当時家康は実質的に織田信長の家臣扱いです。主家を滅ぼした者の家臣にそうやすやすと従属するのでしょうか。
徳川家康は死後、東照大権現と崇められ日光東照宮に祀られます。この日光東照宮には武田家の家紋で有名な花菱が使われている箇所があるそうです。神君家康の最大の大敵で三方ヶ原では無様な姿を晒すことになったあの武田家を象徴する紋様をたとえ似たものであっても家康を神と祀る東照宮に使うでしょうか。
その他にもいろいろと根拠になりそうな要因はあるそうです。
いや~やっぱり歴史っておもしろいですね。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
こうなるとこの説を支持した小説なんかがあれば読んでみたいですね。
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