1万人の第九

人間

私事ですが「SUNTORY 1万人の第九」の合唱に参加させてもらうことになりました。

パートは「バス」です。でも全くの初心者です。

その初心者たるやバスパートがとか第九がとか合唱がどうとかのレベルではありません。

音楽自体全くのド素人です。当然楽譜はチンプンカンプンです。

そんなまっさらなおっさんが9月から12回に渡りプロの指導を受け練習したのですが、なんとかそれなりに歌えるぐらいにはなりました。覚える歌詞が意外と少ないのは助かりました。

ベートーベンの第九はなぜか昔から好きで、この1万人の第九には観客として3回ぐらい聴きに行ったことがあります。いいですね。第九。年末と言えばですよね。

しかしなぜ第九が年末の風物詩になったのでしょうか。こういう風習は日本だけだそうです。

第九の故郷ドイツでもこんなにあっちこっちで演奏されることはないそうです。

というわけで今回は「第九 年末 風物詩 なぜ」について話題開発してみたいと思います。

第九が日本で初めて演奏されたのは1918年のこと。

その頃、日本は日英同盟に基づきドイツと戦争を始めました。

当時ドイツのアジア拠点だった中国の山東半島周辺で日独の激しい銭湯戦闘が行われます。

この時の戦いで日本軍は1000人近くのドイツ兵を捕虜にしました。そしてこの捕虜たちは徳島県の捕虜収容所へ送られます。ここでの捕虜に対する待遇は比較的良く娯楽もある程度は許されており、捕虜たちによるオーケストラが結成され定期的に演奏会なども開かれていたそうです。

この時に初めて第九が演奏されました。このエピソードについては「バルトの楽園(がくえん)」という映画にもなっています。興味ある方は是非。

その後日本の楽団も「第九」を演奏するようになり徐々に親しみ深くなっていきました。

そして日本交響楽団(現NHK交響楽団)が12月に第九を定期演奏するようになったことで他の楽団もそれにならい12月に演奏するようになりました。このあたりから「年末といえば第九」が日本人に定着し始めたようです(諸説あり)

そんなこんなで第九が日本人の心に定着し、御多分に漏れず僕の心にも深く居座ることとなりました。

第九というと「歓喜の歌」ですね。ベートーベンがどういう気持ちで作ったか真意はわかりませんが、まぁフロイデ!です。細かいことは抜きにしてとにかくフロイデ!とりあえずフロイデ!

そんな曲が戦争をきっかけにして伝わったというのですから世の中はおもしろいですね。

今まで第九にあまり興味のなかった人も良かったら一度聴きにってみてはいかがでしょうか。

1万人の第九は初心者にぴったりな演奏会だと思います。服装も自由で子供も気軽に行けます。

という訳で長くならないうちに今日の話題はこの辺で終わりにします。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

フロイデ!シェーネル ゲッテルフンケン!

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